映画『街の灯』その後

映画

開演前

こんにちは。
今年55歳、犬好きギター少年mitsuru..です。
今回は、私の大好きな映画、チャップリンの『街の灯』について語って行きたいと思います。

●チャップリンさんとは・・・

あなたは、チャールズ・チャップリンという人物をご存じですか?
チャールズ・スペンサー・チャップリン(Sir Charles Spencer Chaplin):
1889年イギリス生まれの映画俳優,映画監督,脚本家,作曲家。
サイレント(無声)映画時代に一世を風靡した世界の喜劇王であるのと同時に、数多くの大ヒット映画を世に出した世紀の映画プロデューサーでもあります。
山高帽に大きなドタ靴、チョビ髭にステッキという扮装のキャラキターと言えば思い当たるでしょうか。
そのコミカルな立ち居振る舞いによるドタバタコメディーは現代に至るお笑い芸の基礎となっています。
笑いだけではなく、悲哀をも包み込むストーリー、社会問題や戦争にまで切り込む情熱は、コメディアンの枠をはるかに超えた偉人でした。
主演・監督した公式作品は82本存在し、代表作品は、『キッド(The KID)』,『黄金狂時代(The Gold Rush)』,『サーカス(The Circus)』,『街の灯(City Light)』,『モダンタイムス(Modern Times』,『独裁者(The Great Dictator)』などが挙げられます。

●『街の灯』とは・・・

その中でもチャップリンの最高傑作として高く評価されているのが『街の灯』。
1931年のチャールズ・チャップリン主演・監督・脚本・制作・作曲のアメリカ映画で、それまでの無声映画に伴奏音楽と音響が入ったサウンド版として制作された初めての作品でした。
制作に3年という期間をかけ、特に大事な冒頭3分間のシーンに342回ものNGを出し、そのシーンだけのために1年以上かけて撮り直されたという徹底的な力作。
内容は、とある浮浪者と盲目の花売り娘の悲運の恋愛を喜劇と悲劇を織り交ぜながら繰り広げるストーリーで、二人の出会いと別れ、そして運命の再会というクライマックスで幕を閉じます。
今回はそのラストシーンに至るまでの場面を時系列で追いながら、果たしてそれが、ハッピーエンドなのかはたまたバッドエンドなのか、映画ファンでも長らく議論の的となっているシーンを、「その次」と「その先」を思い描きながら感じ取って行きたいと思います。
それでは、幕が上がります。最後までお楽しみください。

開演

スタッフ・キャスト

CHARLIE CHAPKIN in CITY LIGHTS/チャーリー・チャップリンの街の灯
A COMEDY ROMANCE in PANTOMIME/無言劇によるコメディー恋愛喜劇
WRITTEN AND DIRECTED by CHARLES CHAPLIN/脚本・監督チャールズ・チャップリン
THE CAST/配役
A BLIND GIRL/盲目の娘・・・VIRGINIA CHERRILL/ヴァージニア・チェリル
HER GRANDMOTHER/娘の祖母・・・FLORENCE LEE/フローレンス・リー
AN ECCENTRIC MIRRIONAIRE/常軌を逸した大富豪・・・HARRY MYERS/ハリー・マイヤーズ
HIS BUTLER/富豪の執事・・・ALLAN GARIA/アラン・ガルシア
A PRIZEFIGHTER/プロボクサー・・・HANK MANN/ハンク・マン
A TRAMP/放浪者・・・CHARLIE CHAPLIN/チャーリー・チャップリン

ストーリー<時系列>

終演

ラストシーン。これで終わり、なのです。チャップリンは、浮浪者と花屋の娘が「その次」にそれぞれどういう行動を取るのか、そして「その先」二人はどうなって行くのかを描いていません。あえて描かなかったと言えます。何とも言えない壮大な余韻の中で、「その次」と「その先」を我々観終えた者に委ねたのです。

ラストシーンに至るまで、私が今回何度も何度も見返していく中で、発見したこと、それは、「手」の大切さです。演技を超えた自然でかつ繊細な「手」の動きが随所に描かれています。主人公の視覚障害のある娘に対するさり気ない手の差し伸ばし方、そして会う時と去る時に必ず手を取ってキスをするルーティーン。嬉しい時、悲しい時、二人は必ず手を取り合っています。そして、二人を出逢わせつなげた「手」が二人の別れを二人だけに告げることになるのです。

私の想像する「その次」は、主人公は娘に握られた手をほどき、その場を走り去り、「その先」は、もう二度と娘には近付くことなく離れるいうもの。花屋の娘もまた、「その次」に呼び止めるでもなく、追いかけるでもなく男の走り去るのを見送るしかなす術はなく、「その先」も彼を探すこともなくいつの日にか忘れて行く。
しかし、これはハッピーエンドではないかと思うのです。主人公は、自らのやるべきことをしたという清々しさと共に、娘が抱くであろう失望と罪悪感をこれ以上与えまいとする覚悟をし、娘は男への罪悪感を恥じながらも自愛の念を抱き、もはや抗うことはできない現実と未来を受け入れるという覚悟をし、二人は同じ覚悟という別れを選択したのですから。彼女の、最後の言葉『ええ、見えますわ。』は、視力が回復して目が見えるようになったというだけのことではなく、これまでのこと、そしてこれからの人生が見えるということなのでしょう。そして彼も同じ娘の未来が見えたのでしょう。

もはや、ハッピーエンドもバッドエンドも超えた世界がここにありました。
私は今、二人が幸せでいることを祈る気持ちで胸がいっぱいです。

今回も最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
次回の映画コラム第二弾でまたお会いしましょう。
それでは、ご機嫌よう。さよなら。さようなら。さようなら。

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