-Legends of the Baseball-伝説の戦士たち:野球史に輝く偉大な選手列伝

趣味

こんにちは。
54歳犬好きのギター少年mitsuru..です。
今回は、スポーツのお話をしたいと思います。
あなたは、スポーツはお好きですか?何か競技の経験はおありですか?
私は小学生の時に少年野球、学生の時にテニスをしていました
今は、ホットヨガにはまっています。
ところで、今年はとってもワクワクの続くスポーツの1年であることはご存じですか?
様々なスポーツの世界大会が目白押しなんです。
野球の世界一決定戦WBC(World Baseball Classic)に始まり、世界卓球、世界水泳、サッカー女子のワールドカップ、世界陸上、バスケットボールのワールドカップ、アジア競技大会、ラグビーのワールドカップへと続きます。

私はやっぱり、野球が大好きです。
春のWBCの侍ジャパンの戦いにはとっても興奮しました。
立派に戦った各国代表選手もそれぞれの国でレジェンドと賞賛される日が来ることでしょう。
そう、レジェンドといえば、これまでに綺羅きら星の如く日本の野球界に輝きを放った選手達がいました。
昨今、大谷翔平選手ばかりが連日のように報道されていますが、
先人達の存在と歴史を忘れるわけにはいきません。

そこで今回は、「私mitsuru..が思う野球界のレジェンド達」について語りたいと思います。
選手時代の成績だけではなく、指導者の実績も合わせた野球人としての全キャリアを
ⅰ)選手成績 ⅱ)パフォーマンスの印象度 ⅲ)指導者実績 ⅳ)球界貢献度 ⅴ)人気 ⅵ)伝説
の6つの項目に分け、100点満点で数値化して合計した10名の選手のマイ・ベストテン。
レーダーチャートも添付しますので、視覚的にもお楽しみいただけると思います。
あくまでも私の独断と偏見によるものなので、異論・反論がおありでもご容赦くださいませ。
それでは題して、『Legends of the Baseball』の「PLAY BALL!!」です。

野村 克也

<1位>530点 野村 克也(1935-2020)
『世界で一番野球を知る人』、『世界で一番野球を愛する人』だったと思う。
選手としても、捕手として打者として戦後のプロ野球界を代表する名選手であっただけではなく、
監督としても、決して強くはないチームを率いて、巨人一強時代にくさびを打ち付けた名将。
戦術の革新や、ID野球という野球理論を提唱し、球界に様々な影響をもたらした巨星。
野村イズムを継承する人たちも数多く輩出し、球界から未来永劫えいごうその魂は消えることないだろう。
長嶋茂雄さんや王貞治さんを生涯のライバルとして戦い抜いた人生そのものがレジェンドだったと思う。
記録、人、多くの言葉を遺された。
野球を通じて人生を教えようとされていた。私にとっても先生のようだった。

●経歴
<選手>捕手
南海ホークス(1954-1977)-ロッテオリオンズ(1978)-西武ライオンズ(1979-1980)
<監督>
南海ホークス(1970-1977:選手兼任)-ヤクルトスワローズ(1990-1998)
-阪神タイガース(1999-2001)-シダックス硬式野球部(2003-2005)
-東北楽天ゴールデンイーグルス(2006-2009)
●伝説
1.戦後初の三冠王 2.南海ホークス選手兼任監督 3.ID野球 4.ヤクルトスワローズ日本一
5.野村再生工場 6.後継者育成

★ちょっと一息①★
私の好きな野村語録をいくつか・・・
『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』
『成功や勝ちからよりも、失敗や負けから得るものの方がはるかに多い』
『人目につかない所で、ひっそりと咲く月見草もある。』
『マー君、神の子、不思議な子』

★ちょっと一息②★
野村イズムを継ぐ人達・・・
栗山秀樹(侍ジャパン監督)/高津臣吾(東京ヤクルト監督)/新庄剛志監督(北海道日本ハム監督)
/石井一久(東北楽天監督)/吉井理人(千葉ロッテ監督)など、現在多くの監督・指導者が野村さんの遺志を継いでいます。

長嶋 茂雄

<2位>520点 長嶋 茂雄(1936-)
国民的大スター。プロ野球人気に火をつけた時代の寵児。
「4番・サード長嶋」「背番号3番」は子供達の憧れだけではなく、高度経済成長期の大人達にとっても希望の光だったに違いない。
エラーをしてもなお華のある守備や、あえてヘルメットを飛ばすことを意識した空振りに観客は熱狂。
すべての人から愛されるその人柄はまさに太陽。記録より記憶に残るカリスマ性は他者の比ではない。
選手時代のデビュー戦4打席連続三振,天覧試合のサヨナラホームラン,引退の最後の言葉、監督時代のリーグ優勝をかけた「国民的行事」&「メークドラマ」など常に伝説と共に生きたまさに「ミスタープロ野球」。

●経歴
<選手>内野手
読売ジャイアンツ(1958-1974)
<監督>
読売ジャイアンツ(1975-1980/1993-2001)
●伝説
1.デビュー戦4打席連続三振 2.天覧試合サヨナラホームラン 3.巨人V9 
4.「我が巨人軍は永久に不滅です。」 5.永久欠番[3] 6.ミスタープロ野球 
7.監督就任1年目で球団初の最下位 8.メーク・ドラマ 9.国民栄誉賞

★ちょっと一息★
「国民的行事」とは・・・
1994年(平成6)10月8日にナゴヤ球場で行われた中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツのセ・リーグ優勝決定戦。日本プロ野球史上初めてリーグ戦最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決。日本中の盛り上がりの中で取り行われる決戦を前に、ジャイアンツの長嶋監督が「国民的行事」と名付ける。槇原・斎藤・桑田の投手三本柱のリレーと落合・松井両主砲のホームランなどにより6-3でジャイアンツが勝利。17年ぶりの胴上げで長嶋監督は宙に舞った。

王 貞治

<3位>510点 王 貞治(1940-)
「世界の王」。日本だけに留まらず、メジャーリーガーや世界中の野球選手から尊敬される人物。
「一本足(フラミンゴ)打法」と呼ばれる独特の打法でレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録。
ON砲として並び称された長嶋茂雄と共に巨人の「V9」の立役者。
投手としての巨人入団から「一本足打法」誕生まで、挫折と努力の下積み時代があったことはあまり知られていない。
ホームランを打っても派手なパフォーマンスをしないのは、真摯しんしで誠実な求道者としての信念か。
巨人監督勇退後、ダイエーホークスの監督に就任。低迷期を乗り越え、監督同士の日本シリーズON対決を実現。
WBC第1回大会優勝監督。監督としても「世界の王」となる。

●経歴
<選手>内野手
読売ジャイアンツ(1959-1980)
<監督>
読売ジャイアンツ(1984-1988)-福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス(1995-2008)
●伝説
1.一本足打法 2. ON砲 3.巨人V9達成 4.通算本塁打数世界記録 5.永久欠番[1]
6.日本シリーズON対決 7.WBC初代監督・世界一

沢村 栄治

<4位>420点 沢村 栄治(1917-1944)
日本プロ野球黎明れいめい期に伝説的な活躍を見せた不滅の大投手。
わずか17歳でベーブルースらのメジャーリーグ選抜を手玉に取った快投は今も語り草(草薙くさなぎ球場の快投)。
ダイナミックな投球ホームから放たれる時速160kmともいわれる剛速球を武器に、3度のノーヒットノーランを達成するなど、巨人軍の初代エースとなって輝きを放つ。
しかし、兵役で肩を痛め快速球の威力は失われ、三度の応招おうしょうを経て1944年戦死。27歳没。
宿命と伝説を背負ってってしまわれた。
この平和な時代に野球が日々繰り広げられていることを改めて噛み締めたいと思う。
いつまでも沢村さんの名が語り継がれますように。

●経歴
<選手>投手
全日本代表野球チーム(1934)-大日本東京野球倶楽部(1935)
-東京巨人軍(1936-1937,1940-1941,1943)
●伝説
1.草薙球場の快投 2.剛速球 3.巨人初代エース 4.3度のノーヒットノーラン 4.戦死 
5.永久欠番[14] 6.「沢村栄治賞」設立

★ちょっと一息★
「草薙球場」の伝説とは・・・
日本のプロ野球が始まるより以前の1934年12月に静岡県の草薙球場で開催された日米野球大会で、当時日本チームのエースで後に読売ジャイアンツの初代エースとなる沢村栄治投手(17歳)がベーブ・ルースを三振に打ち取るなど、アメリカ大リーグ選抜相手に8回で9奪三振無失点、失点は最終回のルー・ゲーリッグのホームランによる1失点のみと球史に残る快投を見せた伝説。
現在は、静岡県草薙総合運動場硬式野球場。澤村-ベーブルースMeorial Stadiumの愛称で呼ばれています。

イチロー/ICHIRO

<5位>410点 イチロー/ICHIRO(1973-)
ドラフト4位でオリックスに入団。
ルーキーの2年間は大半を2軍で過ごすが、その間「振り子打法」を完成させ、彗星すいせいの如くスターダムへと駆け上がった。
1995年の阪神淡路大震災の年に『がんばろう神戸』を旗印にリーグ優勝を達成。
走・攻・守のすべてが1級品のプレーヤーとして数多くのタイトルを獲得し、日本人初の野手としてMLBへ。
シーズン最多安打、10年連続200本安打、日米通算安打数世界記録など安打の金字塔を打ち立てた。
もう誰にも辿たどり着けない境地に達した、孤高のスーパースター「世界のICHIRO」。

●経歴
<選手>外野手
NPB オリックス・ブルーウェーブ(1992-2000)
MLB シアトル・マリナーズ(2001-2012)-ニューヨーク・ヤンキース(2012-2014)
-マイアミ・マーリンズ(2015-2017)-シアトル・マリナーズ(2018-2019)
●伝説
1.振り子打法(NPB) 2.がんばろう神戸(NPB) 3.シーズン初の200安打(NPB)
4.レーザービーム/エリア51(MLB)  5.シーズン最多安打記録(MLB) 6.10年連続200安打(MLB)
7.WBC 2大会連続世界一 8.通算安打数世界記録(NPB+MLB)

稲尾 和久

<6位>390点 稲尾 和久(1937-2007)
連投・多投の大車輪の大活躍をしたことから「鉄腕」の異名で呼ばれた。
西鉄ライオンズで3年連続日本一の立役者。特に、1958年の対巨人との日本シリーズではチームが3連敗した後で4連投4連勝して日本一を達成し「神様、仏様、稲尾様」と賞賛された。
シーズン42勝は日本記録。
引退後はチームの衰退~球団売却という激動期に監督を務めた。

●経歴
<選手>投手
西鉄ライオンズ(1956-1969)
<監督>
西鉄ライオンズ(1970-1972)-太平洋クラブライオンズ(1973-1974)-ロッテオリオンズ(1984-1986)
●伝説
1.「神様、仏様、稲尾様」 2.「鉄腕」 3.西鉄ライオンズ黄金時代 4.シーズン42勝 
5.永久欠番[24]

野茂 英雄

<7位>320点 野茂 英雄(1968-)
「トルネード投法」と呼ばれる独特のフォームから伸びのあるストレートと落差のあるフォークボールで奪三振の山を築き上げた1990年代を代表する大投手。
社会人から8球団競合の末ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。
投手部門のタイトルを総なめにする程の大活躍をするが、5年目のオフに球団を退団し、メジャー移籍。
メジャーでも「NOMOマニア」と呼ばれるブームを巻き起こし、奪三振の多い投手に贈られる「ドクターK」の異名も与えられた。
日本人選手がメジャーリーグに本格的に移籍するきっかけと道筋を作ったパイオニア的存在として君臨している。

●経歴
<選手>投手:
NPB 近鉄バファローズ(1990-1994)
MLB ロサンゼルス・ドジャース(1995-1998)-ニューヨーク・メッツ(1998)
-ミルウォーキー・ブルワーズ(1999)-デトロイト・タイガース(2000)
-ボストン・レッドソックス(2001)-3球団(-2008)
●伝説
1.ソウルオリンピック銀メダル 2.ドラフト8球団競合 3.トルネード投法 
4.メジャーリーグ移籍の先駆者 5.NOMOマニア&ドクターK
6.メジャー両リーグでノーヒットノーラン達成

落合 博満

<8位>310点 落合 博満(1953-)
打撃三冠王を3度達成したプロ野球史上唯一の打者。最高の右打者の一人と称される。
神主打法と呼ばれる独特の構えから、広角に打ち分ける打撃技術・理論は他者の追随を許さない。
ロッテから1対4のトレードで中日ドラゴンズへ移籍し、日本人初の1億円プレーヤーに。
巨人移籍後の、長嶋監督が「国民的行事」として表現した1994年の対中日ドラゴンズとのリーグ優勝決定戦に出場。ホームランを放ち勝利に貢献。
監督時代も中日ドラゴンズを日本一に導くなど指導者としてもその手腕を遺憾なく発揮した。

●経歴
<選手>内野手
ロッテオリオンズ(1979-1986)-中日ドラゴンズ(1987-1993)-読売ジャイアンツ(1994-1996)
-日本ハムファイターズ(1997-1998)
<監督>中日ドラゴンズ(2004-2011)
●伝説
1.三冠王3回 2.1対4のトレード 3.日本人初の1億円プレーヤー 
4.セ・パ両リーグで1000本安打達成 5.「国民的行事」10・8決戦

江夏 豊

<9位>290点 江夏 豊(1948-)
阪神タイガース入団2年後にシーズン401奪三振を記録(世界記録)し、1971年のオールスターゲームでは、史上初(唯一)の9者連続奪三振を達成。
王貞治選手を最大のライバルとし、シーズン奪三振のタイ記録と新記録の両方ともを王選手から奪うという偉業をなす。
南海ホークスに移籍すると野村克也監督から、『球界に革命を起こそう』と救援投手に転向。
その後移籍する球団を優勝に導く活躍をしたことから「優勝請負人」とも称され、特に1979年の対近鉄バファローズとの日本シリーズ第七戦での「江夏の21球」は、後に小説やドキュメントになる程の伝説となった。

●経歴
<選手>投手:阪神タイガース(1967-1975)-南海ホークス(1976-1977)-広島東洋カープ(1978-1980)
-日本ハムファイターズ(1981-1983)-西武ライオンズ(1984)
●伝説
1.シーズン最多奪三振世界記録401 2.オールスター9者連続奪三振 3.阪神黄金バッテリー
4.延長10回自身のサヨナラホームランでノーヒットノーラン達成 5.救援専門投手の誕生
6.「江夏の21球」

★ちょっと一息★
「江夏の21球」とは・・・
1979年の広島東洋カープ対近鉄バファローズの日本シリーズ第7戦における広島のリリーフエース江夏豊投手が9回裏に投じた21球。4-3の広島リードで迎えた9回裏の近鉄の攻撃。無死満塁から一死満塁となった場面で江夏投手がスクイズを見破り外に投じたカーブでバッター空振り、サードランナータッチアウト。二死二三塁となり投じた21球目でバッター三振、ゲームセット。広島カープの優勝が決まった。
小説「江夏の21球」は山際淳司「スローカーブを、もう一度」に収録されています。

古田 敦也

<10位>270点 古田 敦也(1965-)
ヤクルトスワローズで強肩・強打の名捕手として一時代を築く。
野村監督の下、配給,キャッチング,スローイングに磨きをかけ球界史上最高のキャッチャーに成長。
「眼鏡をかけた捕手は成功しない」との固定観念を見事に覆し、打撃においても天才性を発揮し、首位打者を獲得するなどID野球の申し子として常勝ヤクルトスワローズの核となる。
1995年のオリックスとの日本シリーズでは、徹底的なイチロー封じに成功。
2004年のプロ野球再編問題発生時は日本プロ野球選手会会長として球団側との交渉の先頭に立ち、史上初のストライキ決行を主導した。
監督時代はプレーイングマネージャーとしてチームを率いた。
近い将来、球界復帰を大いに嘱望されている有能な人物である。

●経歴
<選手>捕手
ヤクルトスワローズ-東京ヤクルトスワローズ(1990-2007)
<監督>
東京ヤクルトスワローズ(2006-2007:選手兼任)
●伝説
1.ソウルオリンピック銀メダル 2.ID野球の申し子
3.シーズン盗塁阻止率.644(日本記録)/通算盗塁阻止率.462(日本記録) 4.日本シリーズ 対イチロー 5.史上初のストライキ

★ちょっと一息★
「プロ野球再編問題」とは・・・
2004年(平成16)に起きたオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併構想を発端に巻き起こった一連の騒動。1リーグ化構想やライブドアの近鉄買収参戦表明、日本プロ野球史上初のストライキなどを経て、楽天の新規参入とソフトバンクグループのダイエー球団買収などで落ち着く。

(補足)

6項目の各数値は以下の通りです。

<解説>
ⅰ)選手成績:
王さんとICHIROさんは双璧だと思います。
ⅱ)パフォーマンスの印象度:
野手では、走攻守のバランス,投手では速球とコントロールを重視しました。
ⅲ)指導者実績:
野村監督ほど野球を知り尽くしている人はいないと思うので。
ⅳ)球界貢献度:
直観で点数に差を付けました。
ⅴ)人気:
野村克也さんの人気を長嶋茂雄さんの100点に次ぐ90点にしたのは、特に晩年、日本中の人から愛されるキャラクターであったに違いないと思ったから。楽天の監督時代の試合後のスポーツ記者へのコメントは本当におちゃめで面白いものばかりでしたから・・・
ⅵ)伝説:
沢村栄治さんを超える人はいないと思うので沢村さんだけ100点にしました。

GAME SET

いかがでしたか?

巨人V9を達成させた川上哲治さん、3000本安打の張本勲さん、400勝投手の金田正一さん、初代ミスタータイガースの藤村富美男さん、はたまた、松井秀樹さんや松井稼頭央さんの名前がない!というお叱りの声も聞こえてきそうですが、これが私の-Legend of the Baseball-です。

最も印象的だったのが、長嶋茂雄さんの威力。これまでずっと、野村克也さんが私の中の1位でしたが、さすがミスター。ずっと1位を脅かしていました。やっぱりすごい。
また、沢村栄治さんが下がって、野茂英雄さんが上がって、落合博満さんが下がったりと、最初に抱いていた順位と異なるという驚きもありました。

やってみて今回の取り組みはとっても楽しかったです。
あなたも一度好きな人やモノを数値化してランキングにしてみたらいかかでしょうか。
面白いですよ。

それでは今日はこのあたりで<GAME SET>とさせていただきます。

★次回予告★
次回は、スポーツ記事第二弾、「阪神タイガース-ミスター・タイガース列伝-」を届けいたいと思います。

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