初めに・・・
こんにちは。54歳犬好きのギター少年mitsuru..です。
今回は前回予告していました通り、「阪神タイガース-ミスタータイガース列伝-」をお届けしたいと思います。
ついに今シーズン、阪神タイガースは18年振りのセ・リーグ優勝を果たしました。
再就任1年目で見事優勝を果たし宙に舞った岡田監督。
遡ること前回2005年の優勝監督も岡田さんでした。
我々の世代として、岡田さんと言えば、1985年の21年ぶりのセリーグ優勝時の中心選手で、あのバース・掛布・岡田の「センターバックスクリーン3連発」の衝撃が非常に強く残っています。
もし今年、日本シリーズに進出して勝てば、1985年から実に38年振り2度目の日本一となります。
ところで、阪神タイガースにとって、日本一と同じくらい長きに渡って遠ざかっていることが他にもあります。
何か分かりますか?
それは、「ミスタータイガース」です。
1988年の掛布雅之選手の引退以降、候補に挙がる選手は何人かいましたが、誰一人として「ミスタータイガース」のと呼ばれる選手は出なかったのです。
1936年のプロ野球リーグ開始時からの球団の一つである老舗球団阪神タイガース。
長きに渡って大阪文化の一つであり、大阪人の生活や人生の一部であるとも言えるこの球団において、その時代時代にファンが自発的に名付けて来た「ミスタータイガース」。
数多くの中心選手の中でも、誰よりも華やかで、誰よりも活躍し、誰より愛される選手。
そんな「ミスタータイガース」と呼ばれた選手がこれまで4人存在していました。
それでは「ミスタータイガース」とは、一体どんな称号なのでしょう。
条件や資格などがあるのでしょうか。
歴代のミスタータイガースたちを振り返りながら、その核心に迫りたいと思います。
【初代】藤村 富美男
藤村富美男(1916-1992)内野手、外野手、投手/背番号10(永久欠番)
<公式戦出場期間>1936-38、1943-44、1946-1958
戦前・戦中・戦後を駆け抜けた、プロ野球創成期を代表するスター選手で伝説的な強打者。
「物干し竿」と呼ばれる長いバットで、大阪タイガース「ダイナマイト打線」(第1次:1946-1949)の不動の4番として君臨。
プロ野球公式戦のタイガース初勝利時の中心選手で、対巨人戦の初の勝利投手となる。
戦後初のホームランを放ったり、打撃主要三部門シーズン日本記録を一度に更新するなどの数多くの伝説を残す。
首位打者1回/本塁打王3回/打点王5回/最多安打2回/最高殊勲選手(MVP)1回/ベストナイン6回を記録。
1937年秋(+年間総合優勝)/1938年春(+年間総合優勝)/1947年の優勝に貢献。
その活躍から甲子園を大いに沸かしファンから絶大な支持を得る存在となって、タイガースに対する大阪人の特別な愛情が芽生えるきっかけとなったと言われている。
巨人軍の川上哲治選手を終生のライバルとし、長嶋茂雄選手の憧れの存在であったり、王貞治選手の一歩足打法のヒントにもなったとも言われている。
別格の「ミスタータイガース」として、初代も2代目も3代目も存在しない、藤村選手だけを「ミスタータイガース」とするファン、選手、マスコミ関係者も多い。
【零代】景浦 將
景浦將(1915-1945) 内野手、投手/背番号6
<公式戦出場期間>1936-1939,1943
戦前のタイガースにおける投打の中心選手として活躍。
終生のライバルであった巨人軍の沢村栄治選手と並ぶ日本プロ野球黎明期の看板選手。
最優秀防御率1回/最高勝率1回/首位打者1回/打点王2回を記録
1937年秋(+年間総合優勝)/1938年春(+年間総合優勝)に貢献。
若くして戦死(29歳)したことを称え、初代・藤村から遡って景浦選手を「零代ミスタータイガース」とすることがある。
【2代目】村山 実
村山実(1936-1998) 投手/背番号11(永久欠番)
<公式戦出場期間>1959-1972
「ザトペック投法」と呼ばれる闘志むき出しの投球フォームで大活躍した絶対的エース。
1962年/1964年のリーグ優勝に貢献。
通算222勝147敗/勝率.602/3050.1投球回。
最多勝利2回/最優秀防御率3回/最多奪三振2回/最高勝率1回/沢村賞3回(歴代最多タイ)
/最高殊勲選手(MVP)1回/ベストナイン3回を獲得。
突出しているのが防御率(=1試合を投げた場合に何点に抑えられるかを表す数値)。
通算防御率2.09はセリーグ記録。
シーズン防御率0.98は戦後唯一の0点台で2リーグ制導入後の最高記録。
長嶋茂雄選手を終生のライバルとする。
1959年6月25日に後楽園球場で行われた天覧試合でその長嶋茂雄選手に左翼ポール際のサヨナラホームランを浴びたのは伝説中の伝説のシーン。
藤村の後継者としてほぼすべてのファンから藤村と並んでミスタータイガースと認められている。
【3代目】田淵 幸一
田淵幸一(1946-) 捕手/背番号22
<公式戦出場期間>1969-1984(阪神:1969-1978/西武:1979-1984)
東京六大学野球のスター選手で、強肩強打の捕手として鳴り物入りでタイガースに入団。
江夏豊投手とのコンビは「黄金バッテリー」と呼ばれ、4番打者として大活躍。
飛距離の長さ&大きく美しい放物線を描くホームランの軌道から「ホームラン・アーチスト」と称される。
阪神時代の通算は10年で1141試合/1016安打/320本塁打/735打点を記録。
本塁打王1回は王貞治の14年連続本塁打王を阻止したもの。
新人王/ベストナイン5回/ダイアモンドグラブ賞2回を獲得。
本人の意に反して1978年西武ライオンズへトレード。その後日本一を経験。
阪神時代にリーグ優勝が一度もなかったのは非常に残念であった。
【4代目】掛布雅之
掛布雅之(1955-) 内野手/背番号31
<公式戦出場期間>1974-1988
1985年の21年振りのリーグ優勝&球団創設後初の日本一達成時の中心選手
新ダイナマイト打線の不動の4番に君臨し、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発の伝説を残す。
1986年以降故障や不振が続き惜しまれながら1988年引退。
「4番サード掛布」以外の掛布選手は存在せず、打順を下げたり代打起用をしたり、守備の負担を下げるためのコンバートをしたりと、選手寿命を延ばす策を講じることはありえず、それ故引退が早まったと思われる。
ライバルは巨人江川卓投手。
対戦時、初球を必ず見送っていたのは、ストレートを待っていたのと、勝負を1球で終わらせないとするファンサービス心があった。
通算15年、1625試合/1656安打/349本塁打/1019打点/打率.292を記録し、
本塁打王3回/打点王1回/ベストナイン7回/ダイアモンドグラブ賞6回を獲得。
ほぼすべてのファンから「ミスタータイガース」と認められている。
【5代目】不在
掛布選手以降では、金本知憲選手や藤川球児選手を始め、真弓明信選手、岡田彰布選手、和田豊選手、新庄剛志選手、桧山進次郎選手、今岡誠選手、鳥谷敬選手、赤星憲広選手が、ミスタータイガース候補と呼ばれたことがあるが、多数のファンが一致してミスタータイガースと呼ぶ選手となるには至っていない。そのため、「掛布選手引退以降はミスタータイガース不在である」とする見解が多数派である
「ミスタータイガース」とは・・・
これら歴代の「ミスタータイガース」の選手達に共通していることは、
ⅰ)絶対的に欠かすことのできない(代わりがいない)存在であること
ⅱ)超一流選手としての成績を残していること
ⅲ)優勝に貢献したこと
ⅳ)タイガースの生え抜き選手であること
ⅴ)記録と共に記憶に残る伝説を残したこと
ⅵ)大阪人に絶大な人気があること
ⅶ)宿敵読売ジャイアンツにライバルがいて名勝負を繰り広げたこと
という条件があるように思われます。
やはり、「初代」の藤村富美男選手の存在感は凄まじいものがあります。
成績だけではなく、時代と共に生き、タイガースを大阪と大阪人の球団へと位置付けた功績はまさに別格であり、唯一であると称されるのも十分頷けます。
「3代目」の田淵幸一選手については、他球団に移籍したことと、優勝を果たすことができなかったことで、賛否が分かれるところですが、阪神在籍中のその圧倒的な存在感と成績から、「ミスタータイガース」に相応しいのではないかと感じます。
「4代目」の掛布雅之選手については、1985年のタイガースフィーバーの後押しもあって、そして他に代わりとなる選手がいない絶対的な存在であったことで、「ミスタータイガース」と呼ばれたのだと思われます。
やはり、センセーショナルなムーブメントが「ミスタータイガース」を出現させるのでしょうか。
これ以降「ミスタータイガース」が現れていないことで、掛布雅之選手が最後でかつ現在に至るまでの「ミスタータイガース」となっています。
5代目は・・・
最も「5代目ミスタータイガース」に近づいた選手は、藤川球児投手,鳥谷敬選手ではなかったかと思われます。
でも、何故「ミスター」になれなかったのでしょうか。
上記の条件に照らし合わせて見ていきたいと思います。
①藤川 球児
藤川球児(1980-)投手/背番号22
<公式戦出場期間>2000-2012、2016-2020
ⅰ)絶対的に欠かすことのできない存在であること。
2005年の優勝時のセットアッパー。
ジェフ・ウィリアムズ投手,久保田智之投手と共に形成された勝利の方程式「JFK」の一人。
2006年以降クローザーに定着。
最速156km/hのストレートを最大の武器とし、打者の手元で浮き上がるように伸びるその
球筋と球速は「火の玉ストレート」と称され、奪三振の山を築いた。
ⅱ)一流選手としての成績を残していること
シーズン46セーブはセリーグ記録/17試合連続ホールドはNPBタイ記録
NPB17年で通算243セーブ&163ホールドを記録。150ホールド&150セーブはNPB史上初
最多セーブ投手2回/最優秀中継ぎ投手2回を獲得。
ⅲ)優勝に貢献したこと
2005年のセリーグ優勝時の中心選手。
ⅳ)大阪人に絶大な人気があること
ⅴ)タイガースの生え抜き選手であること
2013年にMLBに移籍したが、それまでの活躍で十分評価に値する。
ⅵ)宿敵読売ジャイアンツにライバルがいて名勝負を繰り広げたこと
対清原和博選手との対戦でのストレート勝負は見ものであった。
すべての条件に該当することから、十分「ミスタータイガース」に値する選手であることが分かります。
②鳥谷 敬
鳥谷敬(1981-)内野手/背番号1
<公式戦出場期間>2004-2019
ⅰ)絶対的に欠かすことのできない存在であること。
NPB歴代2位の公式戦1939試合連続出場を記録。
その間には、NPB歴代4位(遊撃手としては歴代1位)の667試合連続フルイニング出場を記録
したことから、長きに渡って必要とされた選手であったことが分かる。
ⅱ)一流選手としての成績を残していること
阪神在籍16年で2085安打を記録。
2010年には遊撃手シーズン最多打点104を記録。
打撃だけではなく、ショートの守備でも2006年には490補殺でセ・リーグのシーズン最多補殺
を記録。
ⅲ)優勝に貢献したこと
2005年のセリーグ優勝時の中心選手。
ⅳ)大阪人に絶大な人気があること
ⅴ)タイガースの生え抜き選手であること
2020年に他球団へ移籍したが、それまでの活躍で十分評価に値する。
ほぼすべての条件に該当することから、十分「ミスタータイガース」に値する選手であることが分かります。
総括
それでも何故この二人は「ミスタータイガース」と呼ばれなかったのでしょうか。
条件にどれだけ該当するかではなく、やはり最後はファン心理によるところが大きいのでしょうか。
長嶋茂雄選手以外に「ミスタージャイアンツ」はいないのと同じように、初代の藤村富美男選手が唯一無二であるという説があるように、「ミスター」は唯一無二であり、もはや打ち止めなのでしょうか。
今年不動の4番打者として活躍し、チームを優勝に導いた大山選手も、今後もどれだけ活躍したとしても、「ミスタータイガース」とは呼ばれないかも知れませんね。
でも、その重たくて大きな扉を開け放つ選手が今後現れることを期待します。
核心に迫ると言って、十分迫れなかったことお詫びいたしまして終わりにしたいと思います。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
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